構造設計家。1943年早稲田大学理工科建築学科卒業。同大学講師を経て、1952年助教授、1961年から1990年まで教授を務めた。特に菊竹清訓との協働が多く、出雲大社庁の舎(1963)、東光園(1964)、都城市民会館(1966)などを構造面から支えた。その他にも早稲田大学理工学部五一号館(安藤勝男、1967)、中銀カプセルタワービル(黒川紀章、1972)、シルバーハット(伊東豊雄、1984)など、多様な建築家の試みを実現した。