虎の子渡しを包む「深い霧」

 諸説の中でも、圧倒的な知名度を誇るのが、虎が子を連れて川を渡る姿に見立てた「虎の子渡し」説である。しかし、この説は「深い霧」に包まれている。

 石庭が「虎の子渡しの庭」と呼ばれたのは、記録に残る限りでは、延宝9年(1681)に発行された歴史書『東西歴覧記』が初見とされる。しかし、同書には、なぜ虎の子渡しであるのかという理由が書かれていなかったため、多くの識者が色々な説を提唱してきた。代表的なのは次の4説である。

 1 「劉琨の故事(りゅうこんのこじ)」説
 2 「虎渓三笑の故事(こけいさんしょうのこじ)」説
 3 「虎子如渡深山峯(こしにょとしんせんぶ)」説
 4 「癸辛雜識の説話(きしんざっしきのせつわ)」説

 龍安寺としては、江戸時代の寛政10年(1798)頃には、このうち「劉琨の故事」説に傾いていたようである。しかし、昭和43年(1968)頃に、「癸辛雜識の説話」説が一気に最有力説に躍り出た。その裏には何があったのかは、これまでほとんど知られていない。

 さらに、「癸辛雜識の説話」説にも不可解な点がある。石庭にある五群十五の石と、説話に登場する4匹の虎(親・彪・子・子)が、実際にどう対応しているか分からないのである。

 このように「虎の子渡しの説」は「深い霧」に包まれて分からない点が多いため、いつの頃からか「日本の謎」とされ、今日まで難攻不落のまま人を撥ねつけてきた。

 私はその「虎の子渡しの謎」をついに解き得たと確信。2015年1月20日、京都の淡交社から一冊の本を上梓する。『謎深き庭 龍安寺石庭──十五の石をめぐる五十五の推理』である。

 同書発行のタイミングに合わせて、「虎の子渡しをめぐる謎」を解説したコラムを、5回に分けて掲載する。なお、図[虎の子渡しの謎]に描かれた虎と彪(ひょう。皮に鮮やかな模様のある虎)の姿は、白川静『字通』に示された虎の古代文字に想を得た。

>>次の記事:広辞苑に登場した、虎の親子と庭石の関係は

謎深き庭 龍安寺石庭──十五の石をめぐる五十五の推理

謎深き庭 龍安寺石庭──十五の石をめぐる五十五の推理 [Amazon.co.jp]

定価:本体1800円+税
著者:細野透
発行:淡交社
四六判、280ページ
ISBN:978-4-473-03977-4
2015年1月20日発行

細野透氏は「日経アーキテクチュア」の創刊スタッフで、1995年に発生した阪神・淡路大震災時点の編集長。2006年からフリーランスで活動。2011年に発生した東日本大震災で見た津波が大きな岩を押し流した光景が、今回「虎の子渡しの謎」に挑むきっかけになった。