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職人不足の深刻化によって建設コストが上昇し、建設工事が前に進まない事態が続出している。実は、東日本大震災の前から職人不足は顕在化していた。日経アーキテクチュアと日経コンストラクションが6月24日に発行した書籍「人材危機―建設業から沈む日本」から、震災以前の職人の状況をリポートする。賃金が低下し、「ワンコイン大工」という自虐的な言葉も飛び交っていた。

 2020年の五輪開催都市を決めるIOC総会が開かれた13年9月7日。ある大手建設会社の部長は、この日の開催地決定を別の意味で注目していた。「現状でも、これまでにない職人の労賃高騰がものづくりの現場を直撃している。これでオリンピック開催が決まれば……。果たして、増大する工事量をこなせる能力があるのか」

 建設業界の関係者がこう心配するほど、職人不足と労務費高騰は著しい。なぜ、職人不足はこれほどまでに深刻化したのか。東日本大震災からの復興などで工事量が増えたことも理由の1つだが、それだけではない。実は、震災前から東北地方で職人不足が顕在化していたのだ――。

東日本大震災からの復興需要によって職人不足は深刻化したが、実際には震災前から職人が集まらない状態が続いていた。写真は2011年3月下旬に仙台市沿岸部で撮影(写真:日経コンストラクション)
東日本大震災からの復興需要によって職人不足は深刻化したが、実際には震災前から職人が集まらない状態が続いていた。写真は2011年3月下旬に仙台市沿岸部で撮影(写真:日経コンストラクション)

 2010年12月、仙台市。ある公共建築物の躯体工事で、複数の専門工事会社から集められた型枠大工が、急ピッチで型枠を組んでいた。生コン車を予約した日はもう目前だ。そんな状況で、誰もがこう思っていた。「もう間に合わない」――。

 ある程度は予想できた事態だった。材料の加工段階から、型枠大工が足りなかった。15人いれば足りる現場だったが、型枠材の加工に手いっぱいで必要な人数を集められなかった。同業他社に電話をしても、「うちも余裕がない」と断られた。

 宮城県内のある専門工事会社に電話がかかってきたのは、打設予定日の約1週間前だった。「大工が足りないので何とか工面してくれないか」との打診だ。ちょうど1つの山を越えたばかりだったので、型枠大工を5人ほど送り出した。