クリミア半島のロシア編入などで緊迫するウクライナ情勢をめぐり、欧州の小国、バルト3国が警戒を強めている。ロシア帝国やソ連に占領された歴史があり、ロシア系住民も多いからだ。数多くの美しい建築物に代表される華やかな文化が栄えた歴史を誇る3国は、ソ連からの独立後、ロシア離れを進めてきた。しかし、脆弱なインフラは、西欧諸国との結びつきの強化に当たってネックともなっている。欧州事情に詳しい国土交通省大臣官房秘書室の菅昌徹治氏に報告してもらった。(ケンプラッツ)

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 ヨーロッパの東北部、バルト海に面したエストニア(Estonia)、ラトビア(Latvia)およびリトアニア(Lithuania)の小国は、あわせてバルト3国と呼ばれている。これらの国々は、18世紀に相次いでロシア帝国領となり、1918年に一時独立宣言をしたものの、第2次世界大戦中の1940年には再びソビエト連邦(ソ連)に併合された。1991年の再独立後は親西欧路線を明確にし、2004年にはEU(欧州連合)とNATO(北大西洋条約機構)に加盟している。

 このバルト3国のヨーロッパにおける地理上の位置は、「フェラーリ」という語呂合わせで簡単に覚えることができる。すなわち、スカンジナビア半島の付け根にある「フ」ィンランドから湾を隔てて南に向かうと、「エ」ストニア、「ラ」トビア、「リ」トアニアの順番に3か国が並んでいるのである。

世界遺産となった「中世ヨーロッパの真珠」

 バルト3国のなかで最も北に位置するエストニアの首都・タリン(Tallinn)は、フィンランドの首都・ヘルシンキから約80kmと極めて近く、高速フェリーを利用すれば片道1時間40分程度で気軽に行き来ができる。北欧諸国はアルコールに対する税率が高いため、フィンランドの人たちは週末などに安い酒を求めて買い物に訪れており、フェリーの中ではビールを箱ごと大量に買い込んでヘルシンキに帰る乗客が見られる。

 中世のタリンは、欧州北部の政治・商業的同盟であるハンザ同盟都市として栄えていた。街は堅固な壁や見張り塔で囲まれていたため、戦争などによる破壊から免れ、旧市街には11世紀にさかのぼる商館や住居、石畳の道などがそのまま残されている。

 下町地区には、オープンカフェや屋台が並び、観光客などが集まる市庁舎広場があるが、この広場は中世から市場や街の中心としてにぎわっていた。1441年に世界で初めてクリスマスツリーが立てられたのも、この広場であると言われている。

タリンの市庁舎広場(写真:菅昌 徹治)
タリンの市庁舎広場(写真:菅昌 徹治)

 また、高台には、中世の砦跡に建設されたトゥームペア(Toompea)と呼ばれる城がある。各時代の街の支配者たちが、それぞれの嗜好と必要性により改築を重ねてきたが、現在では国会議事堂として使用されている。城に付属する45mの高さを誇るヘルマン塔にはエストニア国旗が掲げられ、独立のシンボルともなっている。

トゥームペア(写真:菅昌 徹治)
トゥームペア(写真:菅昌 徹治)

 そして、「中世ヨーロッパの真珠」と称えられ、1997年には世界遺産にも登録された美しい街の姿は、教会の塔などからも楽しむことができる。赤い屋根を持つ家々やいろいろな形をした尖塔、ヘルシンキからのフェリーが到着する港と青い海など、どの方角を眺めても絶景が広がっている。

タリン旧市街(写真:菅昌 徹治)
タリン旧市街(写真:菅昌 徹治)