ルワンダの難民キャンプに紙管シェルター

 坂氏の人道的活動は、内戦で数百万人が難民となったルワンダで94年に始まる。国連難民高等弁務官事務所に紙管を使った避難シェルターの建設を提案し、採用された。

 ルワンダの難民は当初、周辺の木を切ってフレームを組み、国連から支給されたシートを張って仮設の住まいをつくっていた。多数の難民が木を伐採したことで、森林破壊が深刻化。坂氏は、木の代替材料として紙管がいいのではないかと考えた。紙管は高価でないうえ、輸送や組み立て、解体、再利用が容易にできる。

 この経験を生かして、95年に阪神大震災が起こった神戸では、仮設の集会所となる「紙の教会」を設計した。現在は解体されて台湾に送られ、エコツーリズムの拠点施設として生かされている。

 11年の東日本大震災で被害を受けた宮城県女川町には、海上輸送用のコンテナを積み上げて、3階建ての応急仮設住宅をつくった。

紙管で組み立てたルワンダの避難シェルター(写真:坂茂建築設計)
紙管で組み立てたルワンダの避難シェルター(写真:坂茂建築設計)

阪神大震災の被災地に建設した「紙の教会」(写真:Hiroyuki Hirai)
阪神大震災の被災地に建設した「紙の教会」(写真:Hiroyuki Hirai)

長さ20フィートのコンテナを市松に積み上げてつくった宮城県女川町の仮設住宅(写真:Hiroyuki Hirai)
長さ20フィートのコンテナを市松に積み上げてつくった宮城県女川町の仮設住宅(写真:Hiroyuki Hirai)

 「受賞は大変光栄なことだ。私がこれまで取り組んできたことを、今後も続けていけと励ましてくれる賞だと思う。建て主や災害援助を求める人々の声に耳を傾け続けなければならない」。受賞の報を受けて、坂氏はハイアット財団を通じてこのようにコメントした。

 プリツカー賞は79年、ハイアットホテルを世界各地に展開する米国の実業家、ジェイ・プリツカー氏によって設けられた。同氏がホテルを手掛けるなかで建築への造詣を深めたことや、ノーベル賞に建築分野が存在しないことが設立の動機となった。現在では、王立英国建築家協会や米国建築家協会のゴールドメダルなどと並び、建築界で最も権威のある賞の1つとなっている。

 プリツカー賞の選考過程はノーベル賞にならっており、各国の建築家などで構成する審査委員会が非公開で審査や投票を実施する。ハイアット財団によると、毎年数百人が候補者として挙がるという。

 授賞式は6月13日、オランダのアムステルダムにある国立美術館で開かれる。坂氏には10万ドル(約1020万円)とブロンズメダルが授与される。

<追加情報>以下では、坂氏が手掛けた主なプロジェクトを見ていく(2014年3月25日午後6時追加)