“分断首都”レフコシア

 キプロス島の真ん中より少し北東に位置するレフコシアの中心部は、ヴェネツィア支配時に建設された城壁に囲まれており、中世の趣が残る旧市街にはレストランや土産物屋がひしめいている。また、美しい教会や大きな屋敷も立ち並び、太陽の光が降り注ぐ繁華街の大通りには多くの観光客が行き交っている。

レフコシアの繁華街(写真:菅昌 徹治)
レフコシアの繁華街(写真:菅昌 徹治)

 ところが、市内を北に向かって進んで行くと、突如として廃墟が現れる。住宅などの建物は壊れるままに放置され、細い通りはドラム缶や有刺鉄線などで塞がれている。これより北側は、国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)が管理する緩衝地帯(通称グリーンライン)となっているのである。

グリーンラインとの境界1(写真:菅昌 徹治)
グリーンラインとの境界1(写真:菅昌 徹治)
グリーンラインとの境界2(写真:菅昌 徹治)
グリーンラインとの境界2(写真:菅昌 徹治)

 キプロスは、1960年にイギリスの支配から独立したが、当初からギリシャ系住民とトルコ系住民間の激しい対立があった。約10年間は融和に向けた努力が続けられていたが、1974年7月、ギリシャ政府の支援を受けたギリシャ系住民によるクーデターが発生すると、これに対抗してトルコ軍がキプロスに侵攻し、島の北部約37%を占領してしまったのである。そして、同年8月の停戦により、長さ約180kmに及ぶグリーンラインが島内に設けられ、首都・レフコシアも、まるでかつてのベルリンのように2つに分断されることとなった。

 その後、北部のトルコ軍による占領地域は、1983年に「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言したものの、トルコ以外の国はこれを承認していない。現在に至るまで再統一に向けた国連の仲介が続けられているが、この「キプロス問題」は未解決のままである。

 とはいえ、紛争から年月を経たこともあってギリシャ系・トルコ系両陣営間の対立は多少緩和され、交流も進んでいる。2003年以降、合計6か所のグリーンライン横断ポイント(クロスポイント)が設けられ、徒歩や自動車などで南部と北部を行き来できるようになったのである。レフコシア市内にもクロスポイント(検問所)があり、観光客でもパスポート検査を受けることでトルコ軍占領地域に入ることができる。

レフコシア市内のクロスポイント(写真:菅昌 徹治)
レフコシア市内のクロスポイント(写真:菅昌 徹治)