高層マンションの歴史をたどる

 日本での本格的な高層住宅としては、1916年に長崎県の端島(軍艦島)に建設された、三菱高島炭鉱の労働者のためのRC造のアパートがある。最盛期には20棟に5000人以上の人が暮らしていた。74年に廃坑となり、島は廃墟となり、誰も住まない島として、長年雨ざらしになってきたが、現在は、日本の産業遺産の象徴ということで世界遺産登録候補になっている。筆者が軍艦島を知ったのは、1986年に出版された雑賀雄二氏の写真集「軍艦島-棄てられた島の風景」で、その映像に衝撃を受けたことを覚えている。

 1921年には横浜に「中村第一共同住宅館」という最初の公共アパートが建設されている。ただ、集合住宅としての形態は、23年の関東大震災の震災復興住宅として、東京と横浜の15カ所に作られた「同潤会アパート」が最初期のものであろう。戦後、53年には東京都が、公営として最初の分譲高層住宅、都営宮益坂アパート(地上11階、地下1階)を建設している(高層住宅の定義は難しいが、便宜上、この原稿では6階以上のエレベータが設置されている建物とする)。

規制緩和以降、次々に作られた元町中華街駅付近の高層マンション(写真:仲原正治、撮影:2013年12月3日)
規制緩和以降、次々に作られた元町中華街駅付近の高層マンション(写真:仲原正治、撮影:2013年12月3日)

 当時の集合住宅は一般に分譲するのではなく「社宅」として企業が従業員に安く貸すという形態が多く、筆者も54年にはRC造4階建ての国鉄アパートに入居している。

 武蔵小杉では55年に第一生命住宅が、社宅利用のために1棟単位で分譲する「武蔵小杉アパートメンツ」を建設した。その後、建物の一部は民間に一般分譲されている。民間の一般分譲の草分けは、日本信販の不動産部門である日本開発が56年に個人向けに売り出した「四谷コーポラス」があり、これが民間分譲マンションの日本最初のモノと言われている。

 こうした動きの中で、1955年に住宅公団が発足し、63年には区分所有法(建物の区分所有等に関する法律)が施行され、本格的に集合住宅の時代が到来する。

 東京オリンピックの前後には、草加松原団地など、郊外型の大規模団地も竣工し、マンションブームが始まったが、オリンピック後の景気後退と一戸建てへの憧れもあり、売れ残る物件も出ていた。

 70年代に入ると、1950年に発足した住宅金融公庫の住宅ローンと連携し、「公庫融資付き分譲マンション」(70年から)が販売され、71年には高島平団地など、大規模なマンション群もできた。マンションが大衆のものとして脚光を浴びてきた時代だ。ただ、当時、高島平団地では飛び降り自殺が頻繁に起こり、マンションの居住と何らかの因果関係があるのではないかという問題点も指摘された。当時の金融公庫の融資は35年返済の固定利子5.5%が基本で、今だと非常に高い金利だが、民間に比べると相当安かった。筆者も75年にこの制度を利用しマンションを購入し、59歳の時にようやく完済している。

 バブル経済期には日本中の地価が上昇し、マンション価格は急激に高騰した。それでもローンを組んで購入する人は少なくなく、バブル経済破綻によって返済に窮して破産する人が相次ぐなど社会問題化した。売れ残ったマンションは分譲価格を下げたため、以前に購入した居住者から訴訟が提起されるなど、バブル崩壊のツケはその後も続くことになる。銀行も不良資産を多く抱え、破綻する銀行、統廃合される銀行なども出てきて、政府は税金で銀行救済を行った。

 銀行の破綻もどうにか落ち着いてきた20世紀後半には、郊外から交通の便の良い都心への回帰現象が生じ始めた。都心部は敷地が狭いこともあって、規制緩和によって都心の容積率も一定の条件で緩和される。その結果、マンションは超高層が主流となっていく。

2010年頃のみなとみらい21には、多くのタワーマンションがつくられた(写真:仲原正治、撮影:2010年12月ころ)
2010年頃のみなとみらい21には、多くのタワーマンションがつくられた(写真:仲原正治、撮影:2010年12月ころ)

 超高層住宅を、環境アセスメントが適用される高さ100mを超えるものとして定義すると、その第一号は、1987年に大阪市都島区に建てられた高さ116m、地上36階のベル・パークシティG棟になる。当時は容積率のほか、日影規制をクリアするために、広大な敷地や河川沿いの敷地などに建てられることが多かった。97年に規制緩和の一環で、都市計画法や建築基準法が改正され、容積率の上限が600%になるとともに、日影規制の適用を除外する「高層住居誘導地区」が導入される。その結果、超高層住宅の建設が急増する。

 関東では1998年に川口市の工場跡地にエルザタワー55(高さ185.8m、地上55階建て)が建てられたのを皮切りに、臨海部の埋め立て地や工場跡地の再開発で次々に超高層住宅が建設されるようになる。この頃から、超高層マンションをその形状から「タワーマンション」と称するようになったと思われる。