歴史的シンボルがない日本

 課題も挙げた。事業自体は民間主導を想定しているものの、官民の連携が必要だ。建設地は国有で宮内庁が管理していることから調整が不可欠になる。

 建設地は都市計画公園内にあり、通常は建築が認められない。また、大規模な伝統木造として建築するには建築基準法第3条が規定する適用除外を受けることも必要になる。さらに、建設地は「江戸城跡」として国が特別史跡に指定しており、復元の是非も問われる。それでも、こうした課題は順次クリアできるとみており、再建は可能との結論に達した。

 「天守再建を単なる運動に終わらせたくない」。再建する会の小竹直隆理事長には、こんな思いが強い。第三者機関に調査を依頼したのは、客観的な判断を仰ぐためだ。

 小竹理事長は「パリの凱旋門やロンドンの時計台など、世界にはその国の歴史や文化の象徴ともいうべき偉大なモニュメントがあるのに、東京にはそれがない」と嘆く。もちろん、東京スカイツリーや浅草寺といった著名なスポットも数多くあるものの、シンボルにするなら江戸城天守だと考えている。

 日本都市計画学会の元会長で調査検討委の委員長を務めた伊藤滋・早稲田大学特命教授は「東京都の姉妹都市ベルリンでは、大戦で焼け落ちた王宮を再建する計画が動き出した。東京もベルリンに負けないシンボルを作ろうとの思いがある」と話す。

 さらに、観光拠点を天守や江戸城の周辺に広げることを日本都市計画学会が提唱する。町人地の中心だった日本橋と天守を結ぶ軸を歴史的空間として再整備するアイデアだ。同学会の副会長で調査検討委の副委員長を務めた東京工業大学大学院の中井検裕教授は「かつての景観軸であり回遊動線を持たせることは観光戦略上、重要だ」と話す。加えて、伊藤滋氏は上野の寛永寺と天守を結ぶ軸も重要と話す。その軸の先に日光東照宮がある。「これくらい大きな位置付けで捉えることが重要」と力説する。

 小竹理事長は「各機関に理解を求めるとともに事業主体を探して実現にこぎ着けたい」と意気込む。

 一方、発表同日の定例会見で構想について意見を求められた猪瀬直樹知事は、「まったくナンセンス。小さい天守をつくったら皇居全体が安っぽく見える。高層ビルがない時代だったら天守は大きく見える」と否定的な見解を示した。

江戸城天守再建に合わせて提案する「歴史まちづくり再生ゾーン」。天守と日本橋を結ぶ軸を歴史的空間として再整備するアイデアだ(資料:江戸城天守を再建する会)
江戸城天守再建に合わせて提案する「歴史まちづくり再生ゾーン」。天守と日本橋を結ぶ軸を歴史的空間として再整備するアイデアだ(資料:江戸城天守を再建する会)

江戸城天守を再建する会の小竹直隆理事長。2020年の竣工を目指して世論を喚起したいと語る。元JTB専務(写真:日経アーキテクチュア)
江戸城天守を再建する会の小竹直隆理事長。2020年の竣工を目指して世論を喚起したいと語る。元JTB専務(写真:日経アーキテクチュア)

日本都市計画学会の元会長で現・早稲田大学特命教授の伊藤滋氏。江戸城天守を再建する会から調査依頼を受けた(写真:日経アーキテクチュア)
日本都市計画学会の元会長で現・早稲田大学特命教授の伊藤滋氏。江戸城天守を再建する会から調査依頼を受けた(写真:日経アーキテクチュア)

皇居東御苑に残る天守台。明暦の大火の後に再建したもので地上部からの高さは約10m、地中に約2m分の石垣が埋まっている。再建前は現在より約2m高かった。竣工後、建て主である徳川家光が「高すぎた」と悔やんだことから、再建時に約2m(1間)下げたと言われている(写真:日経アーキテクチュア)
皇居東御苑に残る天守台。明暦の大火の後に再建したもので地上部からの高さは約10m、地中に約2m分の石垣が埋まっている。再建前は現在より約2m高かった。竣工後、建て主である徳川家光が「高すぎた」と悔やんだことから、再建時に約2m(1間)下げたと言われている(写真:日経アーキテクチュア)