再建に必要な絵図が残る寛永度天守
再建する会が再建を目指しているのは1638年に完成した「寛永度天守」と呼ばれる3代目の天守だ。初代は徳川家康が建てて1607年に完成、2代目は2代将軍秀忠が建て替えて1622年に完成した。それぞれ元号にちなんで慶長度天守、元和度天守と呼ばれる。3代目の寛永度天守は3代将軍家光が建て替えたものだ。
1657年に起きた明暦の大火では江戸の街が3日間燃え続けた。戦禍や震災などを除けば史上最大の被害で、10万人が焼死したとも言われている。江戸城も天守を含めて城内の多くの建物が焼失した。その後、天守台は再建されたものの、幕府は町の復興を優先し、経済的な理由からも天守は再建されなかった。
寛永度天守は窓の配置や屋根の形を再現するなど、再建に必要な絵図が唯一、残されている。それらによると天守台の上からの高さが約45mある地下1階、地上5階建てだった。付属建物がない独立式で、屋根は5重の層塔型、建築面積は約1300m2、延べ面積は約4000m2。天守として日本史上最大の規模だ。