ケンプラッツは、伊勢神宮の第62回「式年遷宮」にあわせて書籍+DVD『承 井上雄彦 pepita2』を発刊した。書籍には、第61回の式年遷宮で総棟梁を務めた宮間熊男氏と漫画家の井上雄彦氏、建築家の藤森照信氏の鼎談を掲載。専門家であるケンプラッツの読者の方々には、書籍に収録し切れなかった内容も含めて、3日連続で鼎談の全容をお届けしている。最終日は、3度の遷宮を通じて得た宮大工の気概と、“建築家の年輪”ならぬ“大工の年輪”を語ってもらった。
凸凹は触ると一遍にわかります
藤森 木というのは、ちょっときつくつくるんですよね。叩いてちょうど入るぐらい。あんまりスパッときれいに入るようじゃね。それは加減だから書きようがないですよね。
宮間 体験というか、何年もやっていて初めて、空気が漏れんぐらいにホゾ穴とホゾが隙間無くできるようになる。やっぱりそういうコツを覚えて、ようやくできるようになる。
藤森 私は前に、山田工作所に行ったときにびっくりしました。ホゾ穴があるでしょう、材を入れるでしょう、落ちていかない。気密性が高くて。穴をそうやって開けるというのは、気の遠くなるような仕事。よくこんなことやってるなあと、外国人を連れて行ったらあきれてました(笑)。見ていると、ほとんど睨んでいる感じですね。ストップモーションで仕事をしているみたい。
宮間 無理矢理たたいて入れたやつは割れちゃうし。そこのところは本当に「これでいいだろう」というのはなかなか。紙一重というか、一遍鉋をかけたら直る、ぐらいにもっていきますからね。
藤森 だから鉋を余分にかけたら、もうつくれないわけですよね。あれはすごいと思った。それと、先ほど神様の仕事だ、とおっしゃいましたが、なるほどと思ったのは、ホゾとホゾ穴って、出来上がってしまえば中が見えないんですよね。だけど、見えないその箱形の穴の隅を完全に削ってね。どうやって、低いところの底を真っ平らに削るんだろうと思いました。私がいままで見た尋常ならざる精度の仕事は、イタリアの石工の仕事と日本の神宮の大工、棟梁たちの仕事ですね。
井上 そういうとき、木をどういうふうに見ていらっしゃるんですか。多分僕らに計り知れない木との対話みたいなことが行われているんじゃないか、という気がするんですけれども。
宮間 木そのものは一本一本癖があるというか、色も違いますからね。それをたとえば壁板20枚1つのコマに継ぎますやろ、そうすると、赤い木や白い木で継ぐとムラになりますやろ。できるだけ一緒のような色を揃えるわけですね。よう似たのを1つの箱のグループのところへ投げ込むわけですね。それも作業する前に棟梁は見分けて、この木とこの木で10枚、ずっと継ぐんだと考える。だから、正面の扉の右と左は一番いい木を使うから、見てもどこが始めか分からない。
藤森 1枚に見えるんでしょう?
宮間 上から押さえていますんで、隙間は全然ないし。もちろんまっすぐに透かんように、そこはちゃんときちんと合わせます。裏のほうへ赤いのを回して、見附の正面は白いのを積む。新しいうちは、特に艶もありますし。
藤森 凹凸を手で触って確かめたりはされるんですか。
宮間 丸柱でも、職人によって鉋がうまく当ててないと、ここは膨れてここは凹んどる、というように触ると一遍にわかります。
藤森 触ってみて。
宮間 ええ、そうです。だから、それをうまく削るには、まずもって削る前に鉋がいかにうまく仕上げようとする柱の径に合うているか。それが合っていないといかんから、何遍も砥石で直して研いで。最後に「これでよし」というところで仕上げると、触ったり横撫でして、分からんようになる。そこまでいかないと駄目なわけですね。
藤森 伊勢の柱は、上と下の太さは全く同じですか。
宮間 上のほうはちょっと細くなっているんです。
藤森 それは、じゃあ鉋はどうされてそうなっているんですか。
宮間 正式にいうと、二梃使わないかんですね。大きな木でいうと、人が集まって見る高さぐらいで、上までは撫でんから(笑)、そこまで緻密に考えなくてもいいけど、それでも正式にいえばそうなんです。