ケンプラッツは、伊勢神宮の第62回「式年遷宮」にあわせて書籍+DVD『承 井上雄彦 pepita2』を発刊した。書籍には、第61回の式年遷宮で総棟梁を務めた宮間熊男氏と漫画家の井上雄彦氏、建築家の藤森照信氏の鼎談を掲載。専門家であるケンプラッツの読者の方々には、書籍に収録し切れなかった内容も含めて、3日連続で鼎談の全容をお届けしている。2日目の今日は、御神殿をつくる大工ならではのエピソードを披露してもらった。
素足で登らへんで、足袋を履いたり、草履を履いたり
井上 式年遷宮は、なぜ20年に一度と決まったんですか。
宮間 いろいろ説はあるらしいですが、わたしらは技術の継承だけの考えですけれど、20年というのはうまく定めてくれたと思います。
藤森 技術の継承ということで考えると、やはり20年くらいがいいですね。あんまり長いと、継続できない。
宮間 人生長くなりましたから、もう少し延ばしてもいいのか分からへんけど、2回の遷宮やったら大概の人はできますね。前の遷宮の経験者が次の遷宮もやれる。
井上 神様に奉仕する仕事に変わりはなくても、20歳のときと、40歳、60歳のとき、それぞれご自身の心持ちというか、臨み方が違うと思うんです。僕が20歳のときだったら、わけがわからなくて無礼なこと一杯してるんじゃないかと(笑)。それと、仕事をされた後、自分のなかの何かが変わるんじゃないかと思うのですが。いかがですか?
宮間 先輩がみなお湯へ入ってから仕事を始めるんですが、20歳のころ神宮へ来たばかりは、自分らは若いから寝坊してお湯に入る時間がなくなって、ドボッと雀の水浴びみたいなかたちでしますやろ。朝礼のときまで間に合わすのにギリギリやったですけどね。だけどそれが段々と御殿つくって、神宮に勤めていると、神さんという有り難さとか、尊さというのが、1回目の遷宮より2回目の遷宮はあって。3回目の遷宮だと、神さんの御加護でこういうように無事に仕事させてもらうんだ、というような感謝の気持ちになってくるわけですね。だから、最後には本当に有り難いという崇敬心がわいてきますね。
井上 みなさんそうなんですね。
宮間 わたしが辞める前に、茶髪の若い子が入ってきました。それがじきに神宮の水に染まったら、ちゃんと黒い髪にして一生懸命、神宮の仕事を覚えるようになりました。愛知県から来たんですけれども、いまは伊勢に住居構えておりますんで、そんな子なんかが次の遷宮もずっとやってくれるわけですね。朱に交われば赤くなる。
藤森 毎日仕事をされるわけですよね。あれは大きいでしょうね。
宮間 一年中神さんの仕事やと張り詰め放しやと精神的に持ちませんから、本当に何でも慢性になってくるということは怖いことですもんで。神さんの御殿といっていても馬乗りになって足かけて木を切ったり、仕事しますやろ。いちいち「ごめんなさい」とか、断ることも暇ないし。そやけども一番大事なことは、足かけても素足で登らへんで、足袋を履いたり、草履を履いたりする。手も素手でいるときは、お水で清めて汚れのないようにしてから、木をいじるという、それも習慣づけて。入ったすぐからそれは先輩に教わったし、また先輩がそういうふうにするから、自分らも自然にそういう風習になっちゃうんですね。
井上 ほかの仕事のときでもそういう気持ちになりますか?
宮間 外へ行けば、そこまで持ち込むことはないです。そやけど、その切り替えというのはなかなか難しいて。家に帰るとまた、すぐにパッとスイッチ切り替えて家内と話せるかといえば、そうできませんしね。