建物だったら、知識のない分、僕の見方はもっと乱暴なものになる。
僕らの街のいたるところにある、四角四面の固い直線に終始している建物は、今言ったような「枠」そのものの象徴とも見える。興味がさほどないので「それがたてものというものなんだろう」と放置していられるが、自分の使命が建物をつくることだったら、心穏やかではいられないかもしれない。
いや、言い過ぎた。それは自分の見方が枠をつくっているのと同じか。四角四面のものの中に枠を飛び越えるものもきっとあるだろう。よく知らないから全部同じように見えているだけで、それが自分の生業ならもっと繊細に一つ一つを見分けるのだろう。その形でなくてはならない意味もあるに違いない。ただその理解が深まるとまた枠が姿を現し、いつしか枠の中にいる自分はそれになかなか気づかない。
では、ガウディのあの作品群は何なのか。
あれが「内側からの必然により枠を飛び越えるもの」でなくて何なのだ。
おそらくそんな思いと直感から、
僕はガウディという大海に飛び込むことにしたのだった。
自分の中に地図も設計図もないのに、
僕はたいてい直感で仕事をやるかどうかを決めてしまう。
そうして飛び込んでみた大海の広さ深さに、
何となくいま途方に暮れているのだろう。
ガウディの内側の必然に、いつかたどりつけるのだろうか。
それとも答えはもう足もとにあるのだろうか。
旅が始まった。
漫画家