形になった国家の夢

 ボストンに拠点を置く建築家のモシェ・サフディ氏は、約85万m2に及ぶこの開発に際し、古代の都市構造に着想を得た。活気のあるカルド・マキシムス(大通り)を中心に、複雑な建築プログラムをシンガポールの文化や生活スタイルと共に織り込んでいく手法で設計をした。構造設計などを担当したアラップは、これに応えるべくエンジニアリングの境界を広げ、革新的な技術への挑戦の日々だった。

 シンガポールが1964年にマレーシアから追放される形で独立した時、誰もがその将来を悲観した。初代の首相のリー・クアンユーは、テレビカメラの前で嗚咽(おえつ)しながら、小国でも必ず生き残ると誓った。以後、外資の誘致、観光立国などの政策・開発を断行。2007年には国民一人当たりのGDPが日本を抜いた。

 かつては素朴なボートレースがマリーナ・ベイ周辺で行われたり、路地裏では昼間から麻雀の音が聞こえたりと、「曲肱の楽しみ」という言葉がぴったりの小国だった。だが、今では観光立国を具現化すべく、F1シンガポールグランプリのレースカーが中心部を疾走し、マリーナ・ベイ・サンズ内のカジノに人が集まるようになった。マリーナ・ベイ一帯は「猗頓(いとん)の富」の象徴でもあるかのようだ。

 マリーナ・ベイ・エリアの開発は、これで終わりではない。現在「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」という植物園を建設中だ。シンガポールは熱帯気候なので、要求される施設は“温室”ではなく“冷室”だ。今年末の竣工予定を控え、波のようなその形態を現わしている。しばらくシンガポールの建築事情から目が離せない。

鉄骨量が従来の1/5であり、DNAの“二重らせん”に着想を得た橋「Helix」など、マリーナ・ベイ一帯には技術的にも優れた美しい建造物が集まる (写真:Darren Soh)
鉄骨量が従来の1/5であり、DNAの“二重らせん”に着想を得た橋「Helix」など、マリーナ・ベイ一帯には技術的にも優れた美しい建造物が集まる (写真:Darren Soh)