図1◎展示室入り口の様子。モチーフには、日本で初めてアーク灯が点灯した頃の人々の驚きを描いた錦絵を採用している。
図1◎展示室入り口の様子。モチーフには、日本で初めてアーク灯が点灯した頃の人々の驚きを描いた錦絵を採用している。
図2◎明治初期のブラッシュ型アーク灯(複製)。会期中は、1日に4~5回、各5分間ほど点灯する。この光を安定させるとともに、小型化することを目指して、白熱電球の開発が始まった。
図2◎明治初期のブラッシュ型アーク灯(複製)。会期中は、1日に4~5回、各5分間ほど点灯する。この光を安定させるとともに、小型化することを目指して、白熱電球の開発が始まった。
図3◎藤岡市助が使用した道具。分度器やコンパスなどのセット(上)、手働計算器(下左)、計算尺(下右)といった設計用の道具も展示されている。
図3◎藤岡市助が使用した道具。分度器やコンパスなどのセット(上)、手働計算器(下左)、計算尺(下右)といった設計用の道具も展示されている。
図4◎電球形LED85個を使った「LEDタワー」。展示室内のアーク灯と対比させて、「新時代」を表している。
図4◎電球形LED85個を使った「LEDタワー」。展示室内のアーク灯と対比させて、「新時代」を表している。


 国立科学博物館は、藤岡市助ら電気技術者にスポットを当てる企画展示「日本を明るくした男たち ―近代化を支えた電気のエンジニア―」を2009年11月29日まで開催中だ(図1)。東芝の創始者の1人である藤岡を中心に、志田林三郎や三吉正一など、主に明治時代に活躍した技術者の業績を紹介するとともに、江戸時代の行灯から現代のLED(発光ダイオード)照明装置に至るまで、明かりに関する資料を展示している。


 展示室を入ってまず目に入るのは、明治初期のブラッシュ型アーク灯を再現したものだ(図2)。これは、1882(明治5)年に銀座で灯されたのと同じで、消費電力は約500W(最大では1kW近くなる)。ろうそく2000本分の明るさという。それに続くゾーン「明治初期までの明かりと電気知識」では、江戸時代にもめっきや治療器に電気を使用していたものの、「電気」というまとまった概念がなかったこと、明治初期に電気機器が見世物として人気を博したことなどが分かる。


 その後のゾーンが「工部大学校と電気の俊英たち」だ。ここでは、技術者の養成機関であった工部大学校で電信科に学んだ、藤岡や志田、中野初子(なかのはつね)、浅野應輔(あさのおうすけ)を紹介する。武士の家に生まれた藤岡らが、江戸時代の身分制度で“士”より下であった“工”の職に就くことは、当時としては勇気のいること。「工部大学校には、それだけ志の高い人が集まっていた」(同展を担当した同館理工学研究部研究主幹の前島正裕氏)という。ここでは、志田の卒業論文や藤岡が使用した道具も見られる(図3)。


 三つめのゾーン「電灯の幕開けと電力利用の始まり」では、アーク灯の点灯からガス灯との競合、全国への電気の普及を展示する。藤岡が設計した日本最初の電動式エレベータに関する資料も展示し、電力の応用の始まりも分かるようになっている。さらに、ここでは交流派対直流派の争いも紹介。交流化に際しては、岩垂邦彦(いわだれくにひこ)が大きな役割を果たした。


 「電気の国産化への道」では、藤岡が同郷の三吉と協同で創設した白熱舎、三吉正一が後に立ち上げた三吉電機工場など、電気機器の国産化の過程をまとめている。三吉電機工場(1887~1898年)からは加藤木重教(かとうぎしげのり)や岡源三、重宗芳水(しげむねほうすい)、小田壮吉など、後の電気機械工業を発展させる人材が巣立った。


 最後のゾーン「藤岡の夢、電気鉄道」では、藤岡らが1890(明治23)年に日本で初めて電車を走らせてから、各地に電車鉄道の計画が相次いだことなどを紹介する。1907(明治40)年には、藤岡に加え、安田善次郎や立川勇次郎らの実業家が発起人となって東京~大阪間に高速鉄道を敷設する計画を国に提出した。同計画は、こう配を考慮した車両の編成や発電所の設置など、綿密なものであったという。しかし、その前年に鉄道国有法が成立しており、藤岡らの計画はそれに反するものだったため、認可は下りなかった。この計画は、度々改定され、1930(昭和5)年までに計7回提出されたが、すべて却下された。


 そのほか展示会場では、日本で最初の蛍光ランプ(東芝製)やLED照明(東芝ライテック製)を展示するほか、電球の製造工程を映した映像を流す。展示室の外には、「未来への光」の象徴として電球形LEDで作ったタワーを設置した(図4)。同タワーには、東芝ライテック製の電球形LEDを85個使用しており、開催期間中の使用電力量は669kWh。同等の明かりの白熱電球に比べて、二酸化炭素の排出量を約1/8にできるというメリットをアピールする。


 この企画は、同館で2004年から開催している「日本の科学者技術者展示」シリーズの8回目に当たる。2009年は、藤岡が白熱電球の試作に成功してから120年。翌2010年は、藤岡が上野公園内で日本初の電車を走らせてから120年となる。さらに、日本政府が2012年までに白熱電球の国内での製造・販売を中止する方針を打ち出しており、LEDなどの発達によって照明装置が「新しい時代を迎えようとしている」(同館)。こうした背景から、同館は今回、このテーマを選んだ。