2階から3階→2階→再び3階へ
さて今回は、2012年に大銀杏が復元された東京駅のトリビア6以降である。トリビア5まではドーム内の話だったが、ドームを出て、東京ステーションギャラリー、ホテル、外壁へと話を広げる。
その前に、2012年の復元に至るまでの経緯を簡単に振り返っておきたい。その前提を知らないと、それぞれのトリビアが深く味わえないからだ。
東京駅の設計は、もともとドイツの鉄道技師であるフランツ・バルツァーによって進められていた。この案は、千鳥破風の屋根が架かった和風の建物がバラバラと並んでいるというものだった。
その後、設計者に指名されたのが辰野金吾。辰野はバルツァーの案を1つの長い棟にまとめ、和風を排したデザインに改めた。それでも、当初は3階建ての壁のような建物ではなく、平屋建て・一部2階建てという構成だった。
その後、日本は日露戦争に勝利。国威発揚ムードが高まり、東京駅も予算が拡大。総3階建てに改められた。そうして1914年(大正3年)、鉄骨レンガ造・3階建てで東京駅は完成した。
しかし、太平洋戦争の空襲により、ドーム屋根と3階部分が焼失してしまう。
そして、終戦から2年後、2階上部に仮の屋根を架けて仮復旧した。
それから約50年後の1999年、免震を導入して3階部分とドーム屋根を復元することが決定。それまで保存活動に関わっていた多くの人が大喜びした。が、心の中で「今のままのデザインでいいのでは」と思った人も少なからずいた。筆者もその口だ。
何しろ仮復旧の状態は、ドーム屋根があった時代のほぼ倍の期間となっており、戦後生まれの人間にとってはその状態こそが東京駅だ。「戦災の遺構」という歴史的な意味も大きい。原爆ドームが今の状態に意味があるのと同じだ。
何より、仮復旧とは思えぬほど、デザインが格好いい。直線で構成した屋根の造形も潔いし、天井のパンテオン風の半球も、戦後2年目によくこれだけのものをつくったなあ、と感心させられる。
そんな思いもあったので、旧ドームの天井が、復元後の床に写し取られたこと(前編のトリビア4で紹介)を知ったときには、うれしくなった。