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巡礼シリーズ新刊「日本遺産巡礼」発行記念

旅行前に読む「ざっくり日本建築史」(前編)

2014/12/08

古い建物を訪ね歩くと、背景にある歴史の流れが知りたくなる。とはいえ日本建築の専門書を読むのは骨が折れる。12月8日に発売となった「旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 西日本30選」では、若手建築史家の伏見唯氏に、日本建築約5000年の流れを一般の人向けにざっくりと解説してもらった。発売記念として、これを前後編に分けて紹介する。

両書籍の表紙(イラスト:宮沢洋)

なお、記事中の「西30選」は「旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 西日本30選」に掲載している施設、「東30選」は、同時発売した「旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 東日本30選」に掲載している施設を示す。(ここまで日経アーキテクチュア)

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 「五月雨の降残してや光堂」「尊さに皆おしあひぬ御遷宮」──。いずれも松尾芭蕉が中尊寺金色堂と伊勢神宮式年遷宮に臨んで詠んだ句です。旅する俳聖は日本中を巡り、各所で数々の名句を残してきましたが、ときには芭蕉の目の前に、今も残る名建築があり、その感性を引き出したに違いありません。旅は、その土地の名建築との出会いでもあります。

 旅するライターの磯達雄氏と、編集者兼イラストレーターの宮沢洋氏が巡る先々にも名建築がありました。そうした旅先の出会いを、改めて時系列で整理するのが本稿の役割です。多少前後する部分もありますが、各時代ごとに本書に掲載された名建築と、その立地に焦点を当てた背景を簡単に記していきます。

先史:東の縄文、西の弥生

 縄文時代と弥生時代は、そのときに普及していた文化をもとにした歴史の時代区分ですが、弥生時代の文化が流入した後も、縄文時代の文化が継承されて続縄文文化を展開した地域もあり、時系列だけでは説明しきれない性格があります。

 歴史学者の網野善彦氏は、土器の文様の分析などから縄文時代には東日本の方が複雑多様な文化を生み出したとし、逆に弥生文化は西から流入すると短期間の間に西日本一帯に伝播したと指摘しています。

三内丸山遺跡(イラスト:宮沢洋)

 実際に、本書「日本遺産巡礼」に掲載した遺跡でも、縄文時代の三内丸山遺跡(青森、東30選)大湯環状列石(秋田、東30選)は東日本、弥生時代の吉野ケ里遺跡(佐賀、西30選)は西日本にあり、おおよそ東に狩猟採集の文化、西に水稲耕作の文化が興隆したとみると分かりやすいでしょう。

 これは当初の稲の品種が東日本に適していなかったからともいわれています。また、薩摩半島の南方沖にある鬼界カルデラが縄文時代に大噴火したことで、西日本の一部の縄文文化を途絶えさせたとも考えられています。
 ただし、これは一時期の傾向で、東日本にも弥生の登呂遺跡(静岡)、西日本にも縄文の上野原遺跡(鹿児島)などの重要遺跡があることを付記しておきます。

「形式」を守る神社建築

 日本最古の建築遺構は法隆寺西院伽藍(奈良、西30選)です。現在に伝わる寺院の形式としては法隆寺が最も古いもののひとつです。けれども神社建築にはもっと古い形式を伝えるものがあります。神社建築は昔の形式や伝統を墨守しようとする性格が強く、時代が下った新しい建物にも古式が残っているのです。

伊勢神宮正殿の屋根(イラスト:宮沢洋)

 その性格をより強めているのが「式年遷宮」です。神社や時代によって状況は異なりますが、おおよそ元の状態と同じように神社建築を建て替える行事です。なかでも伊勢神宮(三重、東30選)の式年遷宮が有名で、記憶に新しい2013 年の遷宮は62回目とされています。出雲大社(島根、西30選)も2013年に、遷宮を伴う修理が行われました。

 この伊勢神宮の正殿と、出雲大社本殿、そして住吉大社本殿(大阪)は、簡素な切妻造で庇が付かず、最も古い本殿形式だと考えられています。『日本書紀』や『古事記』には、この伊勢や出雲をはじめとした数々の神社の創立の説話が記されています。

 伊勢や出雲に限らず、全国にある古い神社は次第に国家によって統制されていきました。『延喜式』(927年)によると、当時官社に列せられた神社は3861カ所もありました。また、ある地域で最も格の高い神社が「一宮」と称されるようにもなりました。

 本書に掲載されている神社では、厳島神社(広島、西30選)が安芸国の一宮、吉備津神社(岡山、西30選)が備中国の一宮です。厳島神社を今のような海上の大規模な社殿群に整備したのは平清盛であり、今の社殿群は13世紀や16世紀に再建されました。吉備津神社も、今の比翼入母屋(ひよくいりもや)造といわれる特異な形態の本殿は、15世紀に再建されたものです。

飛鳥:仏教伝来による寺院造営

 神社は、もともと日本に根付いていた土着の信仰を礎にして広まりましたが、仏教は公伝では6世紀半ば頃に大陸から伝来してきた宗教です。『日本書紀』によれば、まずは蘇我氏が小墾田の家に仏像を安置し、向原の家を寺とした、とされています。

 最初は邸宅の改造や草堂のようなものでしたが、仏教に反対する物部氏との合戦に勝利した蘇我馬子(不詳-626年)が、飛鳥真神原で法興寺(飛鳥寺、奈良)の経営を開始したことで、最初の本格的伽藍が誕生しました。

法隆寺(イラスト:宮沢洋)

 少し遅れて、聖徳太子(574-622年)が四天王寺(大阪)と法隆寺(奈良、西30選)を創建したといわれています。

 この頃の寺院の多くは一族の繁栄を祈る氏寺でした。飛鳥に都が置かれた飛鳥時代のことです。現在の法隆寺西院伽藍(金堂、五重塔、中門、回廊)は、創建時のものではなく後に再建されたとするのが今では定説ですが、それほど時代は下らず、7 世紀から8世紀初頭の建築だと考えられています。

 なおこの頃、飛鳥東方の山奥に、大化の改新で蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足(614-669)の墓を移したと伝わる妙楽寺が創建されました。妙楽寺が明治時代の神仏分離令によって神社となったのが、談山神社(奈良、西30選)です。今は神社ですが、仏塔の十三重塔が見られます。

奈良:寺院の建立を国策に

 飛鳥時代の後、710年に都が平城京に置かれて奈良時代になると、仏教を利用して内政を安定しようという国家鎮護のため、国家の監督のもとで寺院が造営されました。特に大きな事業が、各国に国分寺の建立を命じた「国分寺建立の詔」です。今も各地に国分寺の遺跡が見つかっています。そして、それらを総括する総国分寺として創建されたのが東大寺(奈良、西30選)です。

東大寺大仏殿(イラスト:宮沢洋)

 東大寺の奈良時代の建物としては、転害門と本坊経庫、そして増改築されているものの法華堂(三月堂)が残っています。東大寺は焼き討ちを受けたこともあり、ほかは後の再建ですが、南大門を見ても分かる通り、その時代の技術と表現を象徴するかのような建築に仕上がっています。

 南大門は鎌倉時代の初めに中国の宋から導入された大仏様(だいぶつよう)、もしくは天竺様(てんじくよう)と呼ばれる建築様式でつくられています。大仏様は、東大寺大勧進職を務めた重源によってつくられた播磨の浄土寺浄土堂(兵庫、西30選)でも見られます。

 平城京には国家による官寺ばかりではなく、私寺もありました。例えば鑑真が開いた学問寺である唐招提寺(奈良、西30選)です。

唐招提寺金堂(イラスト:宮沢洋)

 唐招提寺は学問寺であるため、平城宮朝集殿を移築して、まずは講堂を整備したといわれています。本尊仏を安置する中心堂を金堂と呼びますが、奈良時代以前に建立された金堂で現存しているものは、この唐招提寺金堂、法隆寺金堂、そして小さな海竜王寺西金堂(奈良)の3棟しかありません。意外と少ないですが、平城京の大伽藍を見れば往時の南都七大寺の興隆がしのばれます。

平安:山中にも寺を建てる

 794年、平安京に都が置かれました。平安時代になると、空海と最澄により、真言宗と天台宗が日本に伝来され、密教美術が展開していきました。教義を広く発していくそれまでの仏教とは異なり、個別に教義を伝授するものでした。これは顕教と密教という言葉で対比されています。

 そうした性格もあって、密教では山中での修行が行われ、空海は高野山に金剛峰寺(和歌山)、最澄は比叡山に延暦寺(滋賀)を創建しました。奈良では、都市の名建築が印象的ですが、この頃のものでは、山中の名建築も目立ってくるようになります。

 多宝塔という、まんじゅうのような白壁のある二層の塔も密教建築の特徴のひとつです。平安時代に密教化が進んだ石山寺(滋賀、西30選)において現存最古の多宝塔を見ることができます。

石山寺多宝塔(イラスト:宮沢洋)

 また日本には、山を崇拝する山岳信仰が古来からありました。そのため神仏を問わず、山の自然の霊力を身につけようと山々をわたって修行をする修験者や山伏もいます。密教はこの山岳信仰とも結び付いていきました。山岳信仰の霊地でもある密教寺院のひとつとして、三仏寺(鳥取、西30選)がよく知られています。

 三仏寺投入堂を見ると分かるように、山中に建築を建てるのは大きな困難を伴います。こうした崖に張り出した建築のつくり方を懸造りと呼び、後の時代には、山中や崖地の霊場が多い観音信仰においてよく見られ、清水寺本堂(京都、西30選)笠森寺観音堂(千葉、東30選)で用いられています。

笠森寺観音堂(イラスト:宮沢洋)

京と東北に「浄土」の世界

 平安時代は密教美術だけでなく、浄土教美術も盛んになりました。平安時代の文化は、中国からの影響の強い唐風と対比され、日本的な国風文化と称されることもありますが、そのひとつが浄土教美術です。

 浄土とは、如来や菩薩が支配する清浄な国土であり、その極楽浄土に往生して成仏することを願うのが浄土信仰。その浄土信仰が、末法思想とともに、政治の中心にいた摂関家の藤原氏をはじめとした当時の貴族に普及しました。そして、死後の往生を願う、いわば「死の芸術」が浄土教美術であり、文化へと昇華したのです。建築としては、藤原氏の別荘地に、荘厳な意匠と苑池でもって浄土を表現した平等院鳳凰堂(京都、西30選)が、ひとつの極地です。

 さらに阿弥陀信仰の高まりもあり阿弥陀浄土を表現するため、多くの阿弥陀堂もつくられました。法界寺阿弥陀堂(京都)などがあります。

 また中央ばかりではなく東北の奥羽地方には、奥州藤原氏と呼ばれる有力な豪族の支配地がありました。その本拠が世界遺産にもなった平泉です。平泉は仏都として華やかに造営されました。そのときの浄土教建築が中尊寺金色堂(岩手、東30選)です。

中尊寺金色堂(イラスト:宮沢洋)

 跡地としては毛越寺庭園(岩手)があります。奥州藤原氏の初代・藤原清衡の娘による白水阿弥陀堂(福島)も名作です。

鎌倉~室町:禅宗寺院が日本に伝来

 鎌倉時代になり、源平の合戦に勝利した源頼朝が、武家政権を鎌倉に創設しました。京から離れ、政治の中心を東に置く、武家社会にとって画期的な出来事でした。鎌倉整備に当たって、石清水八幡宮(京都)を勧請し(神仏の分霊を他の場所に移してまつること)、鶴岡八幡宮(神奈川)が現在地に置かれました。武家の守護神である八幡神を、領内に勧請したのです。

 またこの頃、禅宗が日本に伝来しました。座禅などの修行を特徴とし、栄西が伝えた臨済宗、道元が伝えた曹洞宗などがあります。その後、武家の保護などもあり禅宗は広まっていき、臨済宗では中国にならった寺院の格付けである五山が、京都と鎌倉で定められました。

 そういった宗派の伝来とともに日本に伝えられた禅宗様(ぜんしゅうよう)、もしくは唐様(からよう)と呼ばれる建築様式があります。鎌倉時代初期の遺構は残っていませんが、鎌倉五山の第二位にあたる円覚寺舎利殿(神奈川、東30選)では、禅宗様の典型を見ることができます。

円覚寺舎利殿(イラスト:宮沢洋)

和様と禅宗様が並走

 慈照寺銀閣(銀閣寺、京都、西30選)の上層も禅宗様でつくられています。

慈照寺銀閣(イラスト:宮沢洋)

 また詳細は不明ですが、龍安寺石庭(京都、西30選)も禅寺の庭園です。

 この禅宗様は禅宗寺院を中心にして広まったと思われますが、禅宗ではない寺院にも用いられながら、さらに従来の和様(わよう)(日本様とも言う)や大仏様とも混ざり合って、折衷様と呼ばれる建築も生み出すに至っています。折衷様としては観心寺金堂(大阪)や鶴林寺本堂(兵庫)が知られています。

 京都にもないわけではありませんが、鎌倉での禅宗の興隆のためか、関東周辺には優れた禅宗様の建築が何棟も残っています。正福寺地蔵堂(東京)、安楽寺八角三重塔(長野、東30選)、清白寺仏殿(山梨)などです。
 なお、中世に禅宗様が広まったとはいえ、従来の和様も発展的に受け継がれています。大報恩寺本堂(京都)や三十三間堂(京都、西30選)などが、この頃につくられた和様建築です。

 古代以来、日本では中国から輸入した建築様式を、徐々に日本的なものにつくり変え、和様の文化を築いてきました。そのようななかで禅宗様の導入は、その状況を一転し、和様とは別系統の建築を誕生させました。この二系統が並走する意識はその後何百年も続くことになります。

ここまで執筆:伏見唯(ふしみゆい)
1982年東京都生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了後、新建築社、早稲田大学大学院博士後期課程を経て、2014年伏見編集室設立。専門は日本建築史。

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 前編はひとまずここまで。

両書籍の表紙(イラスト:宮沢洋)

 本稿で太字にした施設は、12月8日に2冊同時発売となった書籍「旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 東日本30選」「旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 西日本30選」で詳しくリポートしている。書籍は旅行に携帯しやすいハンディサイズ(縦185mm×横148mm)で、価格はいずれも1400円+税。目次など詳細は下記をご覧いただきたい。

旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 東日本30選

旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 西日本30選

 また、この機に合わせて、両書の電子書籍を発売したほか、既刊の「巡礼シリーズ」も電子書籍化したので、興味を持った方はぜひお求めいただきたい。

旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 東日本30選(電子書籍)

旅行が楽しくなる 日本遺産巡礼 西日本30選(電子書籍)

菊竹清訓巡礼(電子書籍)

ポストモダン建築巡礼(電子書籍)

昭和モダン建築巡礼 東日本編(電子書籍)

昭和モダン建築巡礼 西日本編(電子書籍)

伏見唯=建築史家、宮沢洋 [日経アーキテクチュア

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