京と東北に「浄土」の世界

 平安時代は密教美術だけでなく、浄土教美術も盛んになりました。平安時代の文化は、中国からの影響の強い唐風と対比され、日本的な国風文化と称されることもありますが、そのひとつが浄土教美術です。

 浄土とは、如来や菩薩が支配する清浄な国土であり、その極楽浄土に往生して成仏することを願うのが浄土信仰。その浄土信仰が、末法思想とともに、政治の中心にいた摂関家の藤原氏をはじめとした当時の貴族に普及しました。そして、死後の往生を願う、いわば「死の芸術」が浄土教美術であり、文化へと昇華したのです。建築としては、藤原氏の別荘地に、荘厳な意匠と苑池でもって浄土を表現した平等院鳳凰堂(京都、西30選)が、ひとつの極地です。

 さらに阿弥陀信仰の高まりもあり阿弥陀浄土を表現するため、多くの阿弥陀堂もつくられました。法界寺阿弥陀堂(京都)などがあります。

 また中央ばかりではなく東北の奥羽地方には、奥州藤原氏と呼ばれる有力な豪族の支配地がありました。その本拠が世界遺産にもなった平泉です。平泉は仏都として華やかに造営されました。そのときの浄土教建築が中尊寺金色堂(岩手、東30選)です。

中尊寺金色堂(イラスト:宮沢洋)
中尊寺金色堂(イラスト:宮沢洋)

 跡地としては毛越寺庭園(岩手)があります。奥州藤原氏の初代・藤原清衡の娘による白水阿弥陀堂(福島)も名作です。