平安:山中にも寺を建てる

 794年、平安京に都が置かれました。平安時代になると、空海と最澄により、真言宗と天台宗が日本に伝来され、密教美術が展開していきました。教義を広く発していくそれまでの仏教とは異なり、個別に教義を伝授するものでした。これは顕教と密教という言葉で対比されています。

 そうした性格もあって、密教では山中での修行が行われ、空海は高野山に金剛峰寺(和歌山)、最澄は比叡山に延暦寺(滋賀)を創建しました。奈良では、都市の名建築が印象的ですが、この頃のものでは、山中の名建築も目立ってくるようになります。

 多宝塔という、まんじゅうのような白壁のある二層の塔も密教建築の特徴のひとつです。平安時代に密教化が進んだ石山寺(滋賀、西30選)において現存最古の多宝塔を見ることができます。

石山寺多宝塔(イラスト:宮沢洋)
石山寺多宝塔(イラスト:宮沢洋)

 また日本には、山を崇拝する山岳信仰が古来からありました。そのため神仏を問わず、山の自然の霊力を身につけようと山々をわたって修行をする修験者や山伏もいます。密教はこの山岳信仰とも結び付いていきました。山岳信仰の霊地でもある密教寺院のひとつとして、三仏寺(鳥取、西30選)がよく知られています。

 三仏寺投入堂を見ると分かるように、山中に建築を建てるのは大きな困難を伴います。こうした崖に張り出した建築のつくり方を懸造りと呼び、後の時代には、山中や崖地の霊場が多い観音信仰においてよく見られ、清水寺本堂(京都、西30選)笠森寺観音堂(千葉、東30選)で用いられています。

笠森寺観音堂(イラスト:宮沢洋)
笠森寺観音堂(イラスト:宮沢洋)