奈良:寺院の建立を国策に

 飛鳥時代の後、710年に都が平城京に置かれて奈良時代になると、仏教を利用して内政を安定しようという国家鎮護のため、国家の監督のもとで寺院が造営されました。特に大きな事業が、各国に国分寺の建立を命じた「国分寺建立の詔」です。今も各地に国分寺の遺跡が見つかっています。そして、それらを総括する総国分寺として創建されたのが東大寺(奈良、西30選)です。

東大寺大仏殿(イラスト:宮沢洋)
東大寺大仏殿(イラスト:宮沢洋)

 東大寺の奈良時代の建物としては、転害門と本坊経庫、そして増改築されているものの法華堂(三月堂)が残っています。東大寺は焼き討ちを受けたこともあり、ほかは後の再建ですが、南大門を見ても分かる通り、その時代の技術と表現を象徴するかのような建築に仕上がっています。

 南大門は鎌倉時代の初めに中国の宋から導入された大仏様(だいぶつよう)、もしくは天竺様(てんじくよう)と呼ばれる建築様式でつくられています。大仏様は、東大寺大勧進職を務めた重源によってつくられた播磨の浄土寺浄土堂(兵庫、西30選)でも見られます。

 平城京には国家による官寺ばかりではなく、私寺もありました。例えば鑑真が開いた学問寺である唐招提寺(奈良、西30選)です。

唐招提寺金堂(イラスト:宮沢洋)
唐招提寺金堂(イラスト:宮沢洋)

 唐招提寺は学問寺であるため、平城宮朝集殿を移築して、まずは講堂を整備したといわれています。本尊仏を安置する中心堂を金堂と呼びますが、奈良時代以前に建立された金堂で現存しているものは、この唐招提寺金堂、法隆寺金堂、そして小さな海竜王寺西金堂(奈良)の3棟しかありません。意外と少ないですが、平城京の大伽藍を見れば往時の南都七大寺の興隆がしのばれます。