飛鳥:仏教伝来による寺院造営

 神社は、もともと日本に根付いていた土着の信仰を礎にして広まりましたが、仏教は公伝では6世紀半ば頃に大陸から伝来してきた宗教です。『日本書紀』によれば、まずは蘇我氏が小墾田の家に仏像を安置し、向原の家を寺とした、とされています。

 最初は邸宅の改造や草堂のようなものでしたが、仏教に反対する物部氏との合戦に勝利した蘇我馬子(不詳-626年)が、飛鳥真神原で法興寺(飛鳥寺、奈良)の経営を開始したことで、最初の本格的伽藍が誕生しました。

法隆寺(イラスト:宮沢洋)
法隆寺(イラスト:宮沢洋)

 少し遅れて、聖徳太子(574-622年)が四天王寺(大阪)と法隆寺(奈良、西30選)を創建したといわれています。

 この頃の寺院の多くは一族の繁栄を祈る氏寺でした。飛鳥に都が置かれた飛鳥時代のことです。現在の法隆寺西院伽藍(金堂、五重塔、中門、回廊)は、創建時のものではなく後に再建されたとするのが今では定説ですが、それほど時代は下らず、7 世紀から8世紀初頭の建築だと考えられています。

 なおこの頃、飛鳥東方の山奥に、大化の改新で蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足(614-669)の墓を移したと伝わる妙楽寺が創建されました。妙楽寺が明治時代の神仏分離令によって神社となったのが、談山神社(奈良、西30選)です。今は神社ですが、仏塔の十三重塔が見られます。