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巡礼シリーズ新刊「日本遺産巡礼」発行記念

旅行前に読む「ざっくり日本建築史」(前編)

2014/12/08

先史:東の縄文、西の弥生

 縄文時代と弥生時代は、そのときに普及していた文化をもとにした歴史の時代区分ですが、弥生時代の文化が流入した後も、縄文時代の文化が継承されて続縄文文化を展開した地域もあり、時系列だけでは説明しきれない性格があります。

 歴史学者の網野善彦氏は、土器の文様の分析などから縄文時代には東日本の方が複雑多様な文化を生み出したとし、逆に弥生文化は西から流入すると短期間の間に西日本一帯に伝播したと指摘しています。

三内丸山遺跡(イラスト:宮沢洋)

 実際に、本書「日本遺産巡礼」に掲載した遺跡でも、縄文時代の三内丸山遺跡(青森、東30選)大湯環状列石(秋田、東30選)は東日本、弥生時代の吉野ケ里遺跡(佐賀、西30選)は西日本にあり、おおよそ東に狩猟採集の文化、西に水稲耕作の文化が興隆したとみると分かりやすいでしょう。

 これは当初の稲の品種が東日本に適していなかったからともいわれています。また、薩摩半島の南方沖にある鬼界カルデラが縄文時代に大噴火したことで、西日本の一部の縄文文化を途絶えさせたとも考えられています。
 ただし、これは一時期の傾向で、東日本にも弥生の登呂遺跡(静岡)、西日本にも縄文の上野原遺跡(鹿児島)などの重要遺跡があることを付記しておきます。

伏見唯=建築史家、宮沢洋日経アーキテクチュア

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