ガウディの建築が、国を超えて、時代を超えて、我々に語りかけるものは何か。信仰に深く根ざしたガウディの創造の源泉は、内乱によって膨大な資料が焼失したことにより、解明されないことも多い。けれども、残された建築には多くの人が集まり、現代に引き継がれいまもつくり続けられている。21世紀に建築をつくる者として、引き継ぐべき精神を探る。
キーワードは霊的なもの
入江 ガウディはほんとに強いカトリシズムを持っています。カトリック教徒じゃないとガウディを理解できないとは言わないけど、ガウディのなかで、最後に極めなきゃいけないのは、信仰すなわち秘跡でしょう。透視、透かして見る、そういう霊的な世界。
光嶋 やっぱりそうなんですか。
入江 そういうとこは絶対あるはずですよ。
光嶋 霊的がキーワードじゃないかと僕も思っていました。
入江 霊的な世界を極めていかないと、ガウディのほんとの意味は理解できないんじゃないですかね。霊的というのは、自然の洞察とすごく近いと思いますよ。これまでの研究は全部、言語化してますけど、言語化し得ないものをなんとか言語化したい。僕がバトンタッチして研究をやってくれる人がいれば、そういうところをぜひやって欲しいですよ。
光嶋 人を引きつける磁力は、ある霊的なものとの接続じゃないかと思ってるんです。これがなんなのかはわからないですけど。宗教に近いのか。
入江 いま日本の各家庭でも、神棚もない、仏様もない。ところが人間は霊的なものがないと生きられないと思うんです。精神的なもの、宗教的なもの。私は信仰は持ってません、という人でも、祈らない人はいない。人間の総合性のなかでは、必ず、霊的なもの、あるいは自分を超えたものがないと生きられない。それが人間の摂理だと思うんですよ。そういうところでまた、ガウディが持っているもの、建築を通してやろうとしたことを捉え直す必要がある。
光嶋 やっぱりそう思いますか。
入江 アントニオっていう名前も、アントニウスっていう聖人、苦行者がいるんですけど、その聖人と関係があるんじゃないか。今井先生が「入江君、そのアントニウスのこと、やらなきゃだめだよ」って言われたんですけど、「いや、まだ建築やらなきゃいけないんで」って言って濁したことがある(笑)。
光嶋 ガウディの建築は、単純な個人のポエジーじゃないと思ったんですよ。ガウディのなかにポエジーは絶対あるんですけど、それが宿ってるわけじゃない気がするんです。その霊的なものが何なのか。それがもうすでにバナキュラーであるからこそ、いろんなものを受け入れているのではないかと。
入江 当時ガウディは、いつも神学書を傍らに持ってたんですよ。いまはもう手に入らない本。その本からガウディの建築を解いた人は誰もいない。そんなのに手をつけちゃったらね。
光嶋 研究が大変で、実践者としての設計どころじゃない(笑)
入江 命かけでなきゃできませんよね。それもね、スペイン内乱で全部燃やされたわけでしょう。ガウディは遺体が引きずり出されるくらいの痛ましい事態が起こったわけだから、図面も何もかも焼かれてしまった。そういうことがなかったら、もっと研究は進んだでしょうね。
光嶋 証拠不在なんですね。
入江 図面の制作過程なんかも全部残ってたらしいですよ。J・F・ラフルスっていう、ガウディの最初の伝記を書いた作家がいるんです。ラフルスは大学教授だったから、ガウディが死んですぐに、サグラダ・ファミリアの弟子たちからもラフルスさんがまとめ役をお願いしますってことになったんですよ。でも内乱があって、整理した資料もおそらく全部焼失したんじゃないかな。ほかの場所へ移しておけばよかったんでしょうけど、アトリエの整理だけで尋常じゃなかったでしょうからね。