いまも建設が続くサグラダ・ファミリアをはじめ、ガウディの建築に宿る不思議な魅力はどこから来るのか。強烈な造形に目を奪われがちだが、そこにあるのは自然の摂理にもとづいた創造の世界。かつて今井兼次は、コロニアル・グエル地下聖堂、玄関入口の楣(まぐさ)部タイル表現について、西陣の帯に例えたという。四季をめでる日本人の感覚と共鳴する自然観が、建築に生命を宿す。
光嶋 この4月にスペインに行ってきました。サグラダ・ファミリアを見るのは4回目だったんですけど、もはや森であるとか、林であるとか、何かを表現してるということを超えて、あらためて「生誕の門」に圧倒されたんですね。ガウディの建築を見るたびに感じる異様さ、圧倒的な過密性というか、建築の複雑さ、その複雑さが放つ、何なんだろうこんなもの見たことないっていうものが、人を引きつける。ある形式を勉強していって、その形式のプロフェッショナルになって建築を設計することに対する根底の疑問が、ガウディにはあった。自然の理というか、自然界から建築を学ぶべきだということは古代ギリシャの時代からやられているけれども、ガウディが、カタルーニャの自然と向きあって、結果が建築になっていくことを教えてくれているのであれば、やはり模型から最高の技術を投入してつくっているがゆえのわかりやすい内部空間に対して、「生誕の門」はわかりにくいですよ。
でもそのわかりにくさに込められている、職人の手の跡であったり、いろんなものがあるんですよね。今回、僕が「生誕の門」で感動したのは、外尾悦郎さんの彫刻をガイドさんに紹介してもらったときに、僕は4回も見てるのに、初めて外尾さんの聖歌隊の彫刻の顔が完全に日本人だってことに気づいたんですよ。そのときに、それが嫌だと思ったとか、日本人として誇りに思ったとかじゃなくて、うわ、ガウディすごいなと。サグラダ・ファミリアは、聖なる家族ですよね。誰でもウエルカムで迎えている。カタルーニャという文化の鏡として建築は建っているけれど、みんなに対してオープンなんだと。だからアジア的な、目の細い、表情が日本人であっても、全然違和感なく「生誕の門」のなかに綺麗に同居している。その姿を見たときに、あ、人を引きつける力っていうのはこれじゃないかと。圧倒的に大衆を引きつける力がガウディに宿っていて、それは何だろうと考えさせられるんです。