前回は2008年の北京五輪で建設された競技施設についてあれこれ書いたが、今回は戦前のベルリン五輪から昨年行われたロンドン五輪まで、五輪建築の歴史をざっくり振り返ってみたいと思う。

 オリンピックを国威発揚の場として意識的に活用したのは、ヒトラーが最初だとされる。そうしたこともあって、ヒトラーが指揮した1936年のベルリン五輪は悪く言われることが多い。しかし、このときメーンスタジアムとして造られた「ベルリン・オリンピア・スタジアム」は、競技施設の名作だ。

 何しろ、1936年の五輪のために建てられた競技施設が、何度かの改修を経て、今も現役で使われているということがすごい。築約80年である。1974年のサッカーワールドカップ大会でも使われ、2006年の同大会でも使われた。2009年の世界陸上もここで行われた。ウサイン・ボルトが100メートル9.58秒を出したのもこの競技場だ。

(イラスト:宮沢 洋)

 完成当時は10万人を収容できたという大規模競技場だ。ヒトラーと建築家アルベルト・シュペーアによるベルリン改造構想「ゲルマニア」の1つとして計画されたといわれる。

 建物の設計はシュペーアではなく、ベルナー・マルヒ。外観は、古代ギリシアやローマの建築を模した新古典主義風で、入り口近くには2本の塔がシンボリックに建つ。外から見ると、ヒトラー時代の復古主義の名残も感じさせる。

 しかし、スタジアム内の印象は全く違う。客席部分には当初、屋根がなかったが、2006年のワールドカップ大会のために約4年の工事期間を経てリング状の屋根が加えられ、機能性が格段に高まった。

 約7万5000席の観客席は全席屋根付き。屋根はシンプルながら軽快さを感じさせるデザインで、競技場内を見渡すと、とても戦前に建てられた施設とは思えない。改修設計はドイツのフォン・ゲルカンが中心となった。

 最初から名建築だったというよりも、時間をかけて名建築に育った好例だ。前回、「コスト削減で新国立競技場の開閉屋根がなくならないか不安だ」というようなことを書いたが、一度に無理せず、時間をかけて育てていくという方法もあるのかもしれない。もちろん、スタジアムとして使いやすい前提での話だが……。

大空間の「繊細さ」が東京五輪で花開く
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宮沢 洋(みやざわ・ひろし)
宮沢 洋(みやざわ・ひろし)
日経アーキテクチュア副編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、日経BP社入社。日経アーキテクチュア編集部に配属。以来、建築一筋。現在は日経アーキテクチュアにて「建築巡礼/古建築編」を連載中。

◇主な著書
『菊竹清訓巡礼』(日経BP) 2012
『ポストモダン建築巡礼』(日経BP) 2011
『昭和モダン建築巡礼東日本編』(日経BP) 2008
『昭和モダン建築巡礼西日本編』(日経BP) 2006