建築家の年輪
目次
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室伏次郎「心身が開放される空間を」
後編
室伏次郎氏はコンクリート造のほか、木造による柱梁の空間やガラスの温室のように透明感のある空間にも、独自の解釈を加えながら取り組んできた。近作である「鎌倉の杜」は、木造のセカンドハウス。住まい手の心身が開放される空間づくりへと向かう建築家の感性について聞いた。
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室伏次郎「屹立する一枚の壁」を求めて
前編
室伏次郎氏は「建築と人とのコミュニケーション」を可能にする「壁」の存在を重視する姿勢から「壁の建築家」とも呼ばれる。コンクリートの自邸「北嶺町の家」に住まい四十余年。自身の身体感覚に基づく「コンクリート」の豊かさについて話を聞いた。
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富田玲子「ぬくぬく」「ぐるぐる」、心地よい空間
後編
富田玲子氏が手がけてきた作品は、モニュメント、街路、住宅、公共施設とさまざま。施主や運営者、地域の人びとが、愛着をもって、長年使い続けている作品が数多い。その秘訣はいったいなんなのか、話を聞く。
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富田玲子「もっと設計がやりたい」
前編
富田玲子氏は、そもそも医学部に進むつもりで東京大学に進学。そこから工学部建築学科へ編入し、丹下健三氏に師事した。東大建築学科の初の女子学生だ。いかにも男性社会で勇ましく働く姿を想像させるプロフィールだが、実像はまったくの自然体。たおやかだ。「象設計集団」として独立し、その代表作の一つとなる「名護市庁…
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吉田研介「建築にフタをするな」
後編
吉田研介氏は1971年に竣工した別荘「ヴィラ・クーペ」でデビューを果たして以降、主に住宅建築の分野で作品を発表してきた。手がける住宅の一つの特徴が「ローコスト」であるが、それは吉田氏の設計理念であり、精神だ。およそ半世紀に及ぶ建築家としての仕事への思いとその変遷、建築のこれからのありようについて、話…
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吉田研介「学んだのは、コストへの倫理観」
前編
吉田研介氏は早稲田大学を卒業後、竹中工務店に入社した。大手企業の優れた先輩に学ぶ一方で、建築に対する理想や作家としての自立の面で葛藤があった。これが吉田氏がプロフェッサー・アーキテクトとして多くの学生を育てる際の教育理念の礎となっていた。
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原広司「『夕暮れの様相』は僕に染み込んでいる」
後編
原広司氏は2014年10月4日から「市原湖畔美術館」で開催される展覧会に向けて「WALLPAPERS」と題する作品の制作に取り組み続ける。自ら「写経」と語るその制作活動は、生涯をかけて探究し続けている空間理論に対する新たな試みでもある。
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原広司「言葉の有効性を超えた〈何か〉を」
前編
原広司氏は世界各国で作品をつくり続けている。基盤となっているのは1970年代に行った約40カ国に及ぶ集落調査だ。そして今、取り組んでいるのは「写経」。設計でもなく、論考でもないあり方で「様相」を表現する試みである。
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香山壽夫「モダニズムは〈理屈〉だと思います」
後編
香山壽夫氏は、函館のトラピスチヌ修道院など多くの教会、聖堂の設計を手がけてきた。また、ペンシルヴェニア大学での学びと建築意匠に関する研究をもとに「モダニズム」についても独自の見解を示す。そんな香山氏に、これからの建築のありようを聞く。
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香山壽夫「70歳を過ぎて、物事の本質が見えてきた」
中編
香山壽夫氏の建築家としてのエポックとなったのは、1994年に竣工した「彩の国さいたま芸術劇場」。日本建築学会賞、村野藤吾賞、後にBCS賞をも受賞したこの劇場は、香山氏の建築史、美術史への造詣と、その技術を象徴するかのようだ。それ以降の意識の変化について話を聞く。
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香山壽夫「日本に『意匠論』を根付かせたい」
前編
香山壽夫氏は、ルイス・I・カーンに師事し、建築家としてのキャリアをスタート。九州芸術工科大学の設立に携わった後、東京大学で教鞭をとることになった。設計演習に日本で初めて「講評会(ジュリイ)」のシステムを導入し、講義でも「意匠論」を設置した。
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山下和正「自然の変化を読んで、住みこなす」
後編
山下和正氏は、古地図のコレクターとしても知られる。一方、福島県双葉郡川内村のセカンドハウス「亜鉛閣」では、その土地の選定から造成までを自ら手がけ、徹底的に自然との共存を目指したエコロジー住宅を設計した。山下氏が、セミリタイア後の「遊び」と語るそれらの活動から、建築家として、歳を重ねていくことの意味を…
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山下和正「建築も案外面白い」
前編
山下和正氏は、東京工業大学で清家清氏の研究室に学んだ後、日建設計勤務を経て独立。初期の代表作として、浜野安宏氏とのコラボレーションによる「フロム・ファーストビル」を手がける。ただ、山下氏が建築を志したのは「偶然」で、本来は工業デザイナーを目指していたという。
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曽根幸一「『編集力』は、建築家に必要な能力」
後編
曽根幸一氏は、1989年より千葉県の「幕張新都心住宅地(幕張ベイタウン)」の企画に参加する。また近年は「環境」という視点から、地域、町内での社会的な活動にも尽力している。曽根氏がイメージする、国家の、都市の、地域の「これから」について聞いた。
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曽根幸一「国家プロジェクトに『入っちゃったんです』」
前編
曽根幸一氏は、東京大学大学院・丹下研究室での学業と同時に設計にも従事。建築家としての道を歩み始めた。折しも、東京五輪や万博という国家プロジェクトが展開していた時代だ。そのなかで、気鋭の若手建築家として着実に足跡を残してきた。
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林寛治「金山町との、ほどよい距離感」
後編
林寛治氏は、1974年に独立すると間もなく、山形県金山町での仕事を多く手がけるようになる。建築家という立場を超えて、深く町に入り込みながらも、決して同化し過ぎない、ほどよい距離感を保ち続けている。建築の未来、町の未来、そして建築家の老い方を聞く。
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林寛治「吉村事務所の『叱られ役』」
前編
林寛治氏は、東京藝術大学を卒業後、すぐにイタリア・ローマに渡り、建築家としての道を歩み始めた。帰国後は吉村順三氏のもとで、日本における建築作法を学んだ。そんな、イタリアと日本での、修業時代について話を聞く。
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林泰義「都市を自分たちの手で変えていく」
後編
林泰義氏は、自身の生活拠点である世田谷区で市民社会の形成を実践的に行ってきた。1991年からは、地域活動の組織である「玉川まちづくりハウス」の設立と運営に携わり、建築家、都市計画家としてのスキルを、遺憾なく発揮している。
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林泰義「いろんな人を引っぱりこんで町を面白く」
前編
林泰義氏は、市民参加のまちづくりの第一人者として、広く活動を展開している。地域に眠る、さまざまなスキルをもつ人材を発掘し、人と人をつなぎ、ネットワークを広げると共に、自らも、実践的にまちづくりに携り続ける。
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阿部勤「本物がもつ“気”に、感動しました」
後編
阿部勤氏は、70歳の時、民家の「再生」という仕事に出会う。築100年を超える建築に学び、これからの100年を育む建築をつくる作業である。古に学び、未来へ伝える、今を生きる建築家が果たすべき役割について話を聞く。