建築設計の世界はすごく観念的で、いやだ――。学生時代にそう感じていた隈研吾氏は就職先に、いわゆるアトリエ事務所ではなく大手設計事務所の日本設計を選んだ。その後、移った戸田建設設計部では、与条件を逆手に自分らしさを出していく「負ける建築」という考え方のベースを身に付けた。

――就職先には日本設計を選ばれたのですね。
 大学院で修士論文を書いていた時期に、安藤忠雄さんが華々しく登場するわけです。「住吉の長屋」の設計で名前を知られるようになったころです。同級生は皆、安藤さんにあこがれました。コンクリート打ち放しの小さな家で、ゲリラ的に社会に抵抗する。僕も安藤さんの住宅はすごくいいなと思ったのですが、同級生が皆、そっちに向いてしまったので、自分も同じ生き方でいいのかなと疑問を持ちました。
 またそこでひねくれて、「よしオレは社会にもまれてくるぞ」と、日本設計にお世話になることにしました。アフリカで自信を身に付けたけれど、自分がどの方向に行くかは、全然、分からなかった。やみ雲にただ反骨精神があって、その意味が分からないまま、主流に対して反抗していた感じです。
 ただ、皆が向かっていく主流に対して、反骨精神を持つのは建築を強くするためにすごく必要なことだとは思っていました。今流れているものに乗っていくのは簡単だけれど、それと違う方向に行くということは勇気もいるし、やけくその気分も必要です。僕はやけくその気分だけでこれまでやってきた感じがします。

――日本設計で学んだのは、どんなことだったのでしょうか。
 日本設計にいた3年間で、随分いろいろなことを担当させてもらいました。先輩からかわいがってもらえて、すごく充実した時間でした。大きいプロジェクトから小さいプロジェクトまで、コンペから施工監理まで手掛けることができました。
 大組織のやり方は、こうなのだと学びながらも、「このやり方だけで建築をつくっていいのか」という疑問は自分の中で持ち続けていた。ここで一生懸命に学ぶけれど、それを生かすのは別の場だという意識が強かったです。目の前の設計にのめり込む一方で、それを客観的に見ている別の自分が必ずいました。
 監理部という組織は、すごく面白いなと感じました。そういう部署があることも知らなかったし、彼らがすごくかっこ良く見えました。ものとじかに向き合っていて観念的ではない。設計の世界はすごく観念的だなと思っていて、それがすごくいやだと感じていました。それがあったから、アトリエ系の事務所ではなく、日本設計に行ったわけです。
 日本設計の中でも飛びぬけて非観念的で、即物的な人がいるのが監理部です。即物的でありながら、最後の責任はオレが取るぞという姿勢で、「かっこいいな、このオヤジ」と感じたのです。さらに職人とのやり取りも、押したり引いたり。決して権力をかさに着るわけではない。その人間関係の築き方がとても参考になりました。日本設計で監理部の人たちと会えたのは、僕にとってすごく幸せな体験でしたね。

――その後、移った戸田建設の設計部では、施工費の制約をはじめ、施工部隊と一体という設計者にとっては厳しい環境で実務を経験されましたね。
 戸田建設に入ってみて、大手設計事務所がある意味甘やかされていることが分かりました。設計者として奉られるような場面もないようなところで、設計に取り組んでいる人たちの姿勢にも、すごく感銘を受けました。「この人たちの仕事ぶりもかっこいい」と思った。本当にぎりぎりのところで勝負していました。
 発注者は、槇文彦さんのようなアトリエ系事務所との付き合いでは「槇先生」と呼ぶのに対して、日本設計では大企業のエリートサラリーマンに接する感じでした。ゼネコンの設計部になると、さらにポジションが違います。ポジションの異なる設計者の立場を若い時代にひと通り、自分の身で体験できたことが大きかった。そこから学んだのは、結局偉そうにしていてはダメだということです。どのポジションにいても、相手の立場に立ってあげないと信頼されない。信頼されない限りは絶対に面白い建築はできないということです。

――自分らしい建築をつくるには、発注者に信頼されることが近道だと。
 発注者に信頼されるには、いい学校を出ているとか、エリートだということは関係ない。相手の立場に立てる設計者が信頼されていることが分かってきました。自分らしさを出すには、信頼を勝ち取らないとダメです。周囲の環境を読みながら、与条件を逆手に自分らしさを出していく「負ける建築」という考え方には、戸田建設時代の経験が大きく影響しています。

隈 研吾氏(建築家、東京大学教授)
くま・けんご:1954年神奈川県生まれ。1979年東京大学大学院修了。85~86年米国コロンビア大学客員研究員。87年空間研究所設立。90年隈研吾建築都市設計事務所設立。2001~09年慶応義塾大学教授。07~08年米国イリノイ大学客員教授。09年から東京大学教授。97年日本建築学会賞(森舞台/登米町伝統芸能伝承館)、01年村野藤吾賞(那珂川町馬頭広重美術館)、02年スピリット・オブ・ネイチャー国際木の建築賞(一連の木の建築に対して)など受賞多数