日本の建築 1976-2005
目次
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藤森照信氏がみた日本現代建築1976-2005
建築界のこの30年、十年一昔でいうなら三昔を順に三言でいうなら、“ポストモダン”“バブル”“ブランド”とでもなろうか。いずれもカタカナのうえ濁音が多くて、大和言葉になじんだ耳にはやや障る。
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2005年 建築の終わりと始まり
丹下健三が死去。一方、建築デザインの世界で中心となって活躍している建築家たちが、作風を自己否定するような問題作を発表した。安藤忠雄の「hhstyle.com/casa」 (6/27号)や、伊東豊雄の「アイランドシティ中央公園中核施設ぐりんぐりん」(10/17号)だ。別の時代がまた始まろうとしている。…
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2004年 ファサード・デザインの探求
海外有名ブランドの路面店進出ブームが続く。「トッズ表参道ビル」(2005年1/24号)、「ランバンブティック銀座店」(4/5号)などが完成。いずれもファサードに工夫を凝らしており、1枚の面でありながら同時に複雑な表情をもたせている。ファサード・デザインへの注目は商業施設に限らず、その傾向は世界で同時…
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2003年 東京で大規模都市開発レース
2002年、都市再開発をうながす都市再生関連法案が成立。そうしたなか、東京でいくつもの大型再開発プロジェクトが開業する。この年には「六本木ヒルズ」(6/9号)がオープン。「品川グランドコモンズ」(6/9号)も完成した。大規模オフィスビルの急増で、オフィスの床面積が過剰になり賃料が下がる「2003年問…
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2002年 建築は「建てる」から「使う」へ
建築におけるリノベーションがにわかに注目され、広まった。倉庫を文化施設や店舗に変えた「横浜赤レンガ倉庫」(5/13号)や、老朽化したホテルをハイセンスな空間に生まれ変わらせた「クラスカ」(2003年12/8号)などがその実例である。流行としてのリノべーション現象も、住宅から商空間まで幅広く見られた。
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2001年 「スーパーフラット」な時代
コンペ時点から大きな期待が寄せられていた「せんだいメディアテーク」がついに完成した(3/5号)。全体に間仕切りがなくオモテウラのない透明な空間構成は、SANAA(妹島和世+西沢立衛)やアトリエ・ワンらの設計思想とも共鳴しており、当時の現代美術用語を流用して「スーパーフラット」とも言われた。
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2000年 すべての建築はエコを目指す
ドイツで「環境博」をうたうハノーパー万博が開催され、日本からも坂茂の設計による「紙のドーム」が日本館として出展された(7/10号)。こうした世界的な関心の高まりを受けて、日経アーキテクチュア3/6号では「エコ・デザインエコロジ一発想で建築は変わるか?」の特集を組んだ。この中で紹介されたのは、リサイク…
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1999年 2次元で何ができるか
1990年代の建築を席巻した透明感の追求もこのころになると少し様相が変わってきて、透明よりも半透明が好まれるようになる。「蒲郡情報ネットワークセンター・生命の海科学館(5/3号)や「大社文化プレイス(12/27号)で多用されたプロフィリットガラスの採用にもそうした傾向がうかがえる。「LOUIS VU…
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1998年 ルーバー派と土壁派
建物に求められる環境対策は、より実効的なものになってきた。ガラスのような平滑な面を好む建築家がルーバーやスクリーンで対処しようとするのに対し、自然素材でエコロジー建築をつくろうとする一派もいた。
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1997年 迫られる地球環境問題への回答
コンペ時から景観問題で騒がれた「京都駅ビル」が完成(8/25号)。その京都で、地球温暖化防止京都会議が開催される。ここで温室効果の原因となる二酸化炭素の具体的な削減数値が示され、建築における環境対策も避けて通れない問題となった。流行のガラス建築でも負荷低減の工夫が必要となり、日経アーキテクチュア5/…
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1996年 時間消費のニーズに応える
この年、東京の臨海副都心では世界都市博覧会が開催されるはずであった。都知事の交代により中止され、伊東豊雄らによる会場計画も幻と終わったが、恒久施設として計画された「東京国際展示場」(1/1号)、「テレコムセンター」(1/1号)、「フジテレビ本社ビル」(9/23号)などの建物は、この時期に完成している…
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1995年 透明な建築への志向
いかにガラス面の透明度を高められるかに、建築家たちはこぞって取り組んだ。建築を消し去りたいという欲望が秘められた、この傾向はしばらく続くことになる。1月17日、阪神淡路大震災。多くの建築設計者たちが、被害度調査や復興計画にボランティアで携わった。
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1994年 建築を土に埋めてしまおう
「関西国際空港旅客ターミナルビル」など大型建築以外で目立ったのは、「奈義町現代美術館」など地方の公共建築である。ランドスケープ化を過激に推し進めた、「EARTHTECTURESUB-1」のような“反建築”的な作品も現れた。
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1993年 新しい超高層と大空間
「横浜ランドマークタワー」が完成。横浜の新しい臨海開発地域みなとみらい21のシンボルとなるべく、この時点で日本一の高さ296mを誇った。大阪では「梅田スカイビル」が竣工した。「福岡ドーム」ができたのもこの年だ。
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1992年 バブル経済の退潮とともに
リゾート法が制定されて5年目となり、リゾート施設の誕生が全国各地で見られた。ところが不幸にもできあがった時点で既にバブルは終わっており、これらの施設は次第に運営の困難さにあえぐことになった。
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1991年 ビルに内包された都市空間
「東京都新庁舎」が完成。日経アーキテクチュアではこれを徹底レポートで解説した(4/29号)ほか、注目すべきオフィスビルとして「センチュリータワー」(6/24号)や「目黒雅叙園」(12/23号)も詳しく紹介している。そのほかにも再開発によって生まれたオフィスビルが立て続けに完成しており、特にアトリウム…
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1990年 建築で地域を変える試み
鈴木俊一都知事(当時)のマイタウン東京構想による建築づくり、熊本県知事の細川護熙「くまもとアートポリス」の建築物が完成したのがこの年だ。
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1989年 博覧会で都市開発を進める
80年代末は日本全国で地方博がブームとなった。この年は横浜、福岡、広島、名古屋などで開催された。近代建築を保存して活用する様々な例も目についた。
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1988年 バブル経済に躍る建築界
アルド・ロッシ、フィリップ・スタルク、ピーター・アイゼンマン……バブル景気にひかれて日本を訪れる海外有名建築家が激増した。そのプロジェクトの多くが数年もしないうちに実際に出来上がっていくことになる。
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1987年 公共建築を木造でつくる
集成材や接合金物を使った新しい木造建築が登場し、普及への第一歩が踏み出された。他方、大規模再開発からも取り残された“普通の”ビルを、日経アーキテクチュアでは「アーバン・スモール・ビルディング」と呼び、2号連続で特集して大きな反響を得た。