ゼネコンに入って行く行くは現場所長として施工現場を率いたい。こう考える学生が減っている。その背景として内藤氏は日本社会が変質していることを挙げるが、「現場の面白さが学生に伝わっていない」とも指摘する。

――ゼネコンに入って施工管理をやりたいと考える学生が減っているようです。現場でのものづくりについて学校では教えないのでしょうか。
内藤 教えないでしょうね。モデレーターというか翻訳者がいないのです。若者に翻訳する人がいないとだめですよ。あんなに面白い世界なのに、それがちゃんと伝わっていないということもあると思います。
 それからもう一つ、企業そのものが現業にかかわる人を本当に大切にしているのか疑問を感じます。ゼネコンもメーカーも、ホワイトカラーの方が偉いと考えている向きがある。おかしな話です。この考え方を180度変えなきゃだめですね。そうでないと優れた人材が集まりません。

――現場の権限が低くなりつつあるといわれることとも無関係ではない……。
内藤 要するに、昔は職人の親方みたいなもので、ある現場があると、それは自分の差配で動かせた。もちろん会社の仕組みでいろいろな会計上の問題はあるけど、自分が差配できる範囲が非常に大きかったわけです。だから下請けが困っている時は少し助けたりできた。
 だけど管理型社会になると、現場所長はいつも、本社に報告書を書いているわけです。その度合いはあるけど昔と今を極端に比較すると、そういう状況になっているわけです。

――コストや工期が厳しくなり、若手に責任ある仕事を任せておけないとも聞きます。
内藤 しかし、その考え方を逆転しないと、企業自体も空洞化する一方で危ないと思います。若者はそういうことも感づいているはずです。若い人の直感を甘く見ない方がいい。たぶん彼らの判断は正しいでしょう。そんな状況だったら建設現場に行きたくないよ、という学生の気持ちが今の数字に表れているのかなと感じます。

――かつては、学生がもう少し現場に魅力を感じてゼネコンに就職しようとしていました。
内藤 この20年ほどで日本社会が変質してきているのです。管理型社会に建設業界もどんどん変わっている。そうすると、そこで落としてきた大切なものもあるわけです。若者は勘がいいですから、現場へ行くと言ったら女の子にもてないとも考えて行かないわけですよ。
 時代の雰囲気を醸成していくのがメディアの仕事だから、そういう雰囲気をできるだけメディアでもつくり出して、企業の側も早く気が付かなければいけない。学生の側も面白いと思うような時代の雰囲気をつくり出すというのは大事だと思いますね。


内藤 廣氏
1950年神奈川県生まれ。76年早稲田大学大学院修士課程修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て81年内藤廣建築設計事務所設立。2001年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、03年同教授。近作は島根県芸術文化センター(05年)、とらや東京ミッドタウン店(07年)、JR日向市駅舎および駅前広場(08年)など(写真:柳生 貴也)